takabailandoのブログ

I hope this is like TEDxMe+: ranging from numeric programming to business value proposition.

文系と理系という意義の小さい質問が社会に与える影響ってどれくらい?

長い間疑問に思っていたし、自分の人生にも多少なりとも影響を与えた、何気ない言葉に、「文系?理系?」があります。この質問をしている側は特に他意もなく、文章そのままの内容を尋ねているだけなんですが、どうも違和感があって仕方がないんです。

 私は日本の大学では法学部を卒業していますが、そもそも法学部を選んだ理由は父親や親戚一同が司法・行政関連の仕事をしていたこともありますが、決定的な理由は「僕は色弱だから理系は無理なんだな」という固定概念でした。高校の先生からも、周りの人間からも、同じような話を小さいころから聞いていたこともあり、抵抗するほどの疑問ではなかったのを覚えています。

 しかし、実際大学に入り、自分が好きなことととの乖離がはっきりしてくると違和感が払拭できず困っていました。そこでアメリカ、フランス、ドイツなどの欧米諸国から来た留学生と知り合いになり、自分の世界も広がってきた時に、これまでの固定概念は日本独自のもので、他国ではそうではないと知りショックを受けたと同時に、よっしゃ留学したるで!という気持ちになった瞬間を忘れられません。

 今思うと上記の固定概念がなければ、祖父の思いに沿う形で農学部か土木学部に進学していたと思います。結局米国留学した際は、環境学部に入り、化学、生物学、地学だけでなく、経営学、経済学など幅広く勉強できましたし、文系?理系?という区別をする必要もないんだなと実感しています。

 今フリーランスとして仕事をしている中で思うのは、「結局自分が進みたい道、自分が突き詰めていきたいスキルしか身にならない」ということ。文系ですか?理系ですか?という質問に表されるように、日本ではどこかしらシンボリックな地位や評判をベースに人間を判断したがる、特にその傾向が強い、と思います。教育オペレーション上、文系や理系に分けるのが簡単なのかもしれませんが、個人のポテンシャルを開花させるにはお粗末な教育政策だと思います。

 これからのグローバル社会で活躍できる人材を日本から多く輩出するには、日本にグローバルな土壌が用意されていなくてはいけません。大人は子供のポテンシャルをつぶさないように、一義的な概念をもって接しないように心がけたいものです。