分析の意味と意義
ブログを立ち上げておきながら、大分ご無沙汰になってしまって(汗)
最近色々と分析作業とかアルゴリズムの開発指揮とか分析体制構築の旗ふりを依頼されることが多く、非常に感謝しています。ただ、戦略コンサル+データ分析+ソリューションアーキテクト的な仕事を数年してきた結果、色々と考えることがあります。ビッグデータに限らず、分析に対する期待値というか、分析のあるべき論というか、をトップが理解していないと、分析のROIを近視眼的にしか評価されずに、分析者が疲弊し、最悪の場合精神病になるんですよねぇ。
で、あくまで私見なんですが、分析だけではなく何事においても、「やったほうがいいこと」と「やるべきこと」を明確に区別できる眼が必要なんじゃないかと。この眼がないと、自分だけならまだしも、チームにも迷惑をかけることになることが多いんじゃないかと。
とはいえ、この眼ってのは実際に修羅場を経験し、その修羅場を生き残り、かつ同じ過ちを後続者にさせないぞという強い意識を持っている人じゃないと、なかなか体現することが難しいんですよね。なので、分析チームをゼロから作り上げるってのは、有能な人を連れてくればいいわけではなく、並大抵の投資ではないってことをトップが理解しないといけないです。(少々勘違い感を拭いきれないが)ビッグデータが大切だ!と言われる中、中途半端な投資をして失敗に終わっている企業も多いんじゃないでしょうか。
私の経験上、データ分析で成功を収めたんじゃないかと感じた場合は
1. 当たり前の事実をデータを使ってロジカルに証明した
2. 当たり前の事実の裏をデータを使ってロジカルに否定できた
3. 今まで見えなかった傾向をデータから読み取ることができた
4. 勘や経験で行っていた業務をデータを使って臨機応変に対応できるようになった
くらいです。記事や本に挙げられるほうなミラクル&どんでん返し的な事例って極々数%あるかないかです。一方、こういった努力に価値を見いださず、データ分析=凄い発見と勘違いされ続けると、分析業務自体発展することが難しいし、なので分析コンサルには過大な期待が向けられることも少なくないんですよね。
でも、なぜそうなるんだろう?とゴリゴリ分析者でもない私が考えてみると、大雑把に言うと5つ理由があるのではないかと。
1. データは実社会の結果として記録されるが、必要なデータが記録されているかと別物
2. 難しいアルゴリズムを適用すれば、必ず見えないものが見えてくるだろうという幻想
3. 実務で感じる当たり前のことをデータで証明することへの過小評価
4. データ分析がプロフィットセンターではなく常にコストセンター的な位置づけ
5. シリアルスペシャリストの欠如
どういう分析が必要なのかを議論するには、なぜ今この課題を解決する必要があるのか、解決したらそれがどう将来の展望に影響するのか、を共有していないといけないんですよね。分析を突詰めて行くと、やるべき分析を優先して、やったほうがいいレベルの分析はなるべき自動化とかシステム化する形で進めないと分析ってスケールしないんですよね。ただでさえ、上記の5つという問題・課題・憂鬱の種がある中で、スケールもしないなら、よほど理解のある経営者じゃないと分析に理解を示すことも少ないんです。
なので、私は分析をする際には、意味と意義を区別して議論するようにしています。個人事業として分析を行う以上事業のスケールは企業内の分析者よりも敏感ってこともありますが、もっと分析を身近にして本当に解決すべき課題に分析資源を集中することが、ナレッジを無駄にしないことに繋がるんだろうなと考えます。これはやっぱり戦略コンサルの経験からなんでしょうかね。